ホーリーバイブル これだけは覚えておきたい聖書の教え: 大森の成功マインドイノベーションブログ〜成功への旅は脳内から始まる〜

2015年06月03日

ホーリーバイブル これだけは覚えておきたい聖書の教え


聖書の教え 

・人にしてもらいたいと思うことは何でも あなたがたも人にしなさい


マタイによる福音書は新約聖書に収められた四つの福音書のひとつ新約聖書の冒頭に


おかれた福音書の最初にきている

同福音書の特色はイエスの誕生から宣教 そして死の物語の間に

長大な説教をはさんでいることだ


その説教は山上の説教と呼ばれているもので 

この場面では イエスの周囲に弟子たちが近づいてきたので イエスは山に登り

いろいろな教えを説く 

このことから この説教は山上の説教あるいは山上の垂訓と呼ばれている 


山はモーセがしない山の頂で十戒を授かったという故事以来

聖なる教えが授けられる場所を象徴する

山上の説教では三章にわたってさまざまな教えが語られるが 

その締めくくりともいうべき教えが 人にしてもらいたいと思うことは何でも 

あなたがたも人にしなさいである これは旧約聖書の律法の書と

預言者の書の精髄となる教えである 

とイエスは言っている 

このことから 俗に黄金率とも呼ばれる教えである 

教えの内容は 自分が人にしてもらいたいと思うことを他者に対してすることで 

人間同士の関係の中心に愛を置くということだ 


ユダヤ教の律法の規定は613に及ぶとされるが

それらすべに通暁している必要はない

ただ愛をもって人と接することが律法と預言者のすべてだと イエスは説くのである 



・7回どころか 7の7十倍までも赦しなさい


イエスと弟子ペトロの対話である 

あるとき ペトロがイエスに問う 同胞が罪を犯したとき 何回赦すべきか 7回までかと

ユダヤ教では神は人間の同じ罪を3度までは赦してくださるということになっていた

したがって ペトロが口にした 7回までというのは かなり肝要な部類である

ところが これに対してイエスは答える

7回どころか7の7十倍までも赦しなさい と 


これは490回という数字ではなく 無制限 無条件に赦せという意味である

つづいて イエスは仲間を赦さない家来というたとえ話をする 

いわく 王から1万もの借金をしていた家来が 

王に借金を帳消しにしてもらった ところがこの家来は 

自分が100ものお金を貸していた仲間から借金をとりたてようとする 

これを見た王は怒り この不届きな家来を牢獄にいれてしまう 

イエスはいう あなたがたの一人ひとりが心から兄弟を赦さないなら 私の

天の父もあなたがたに同じようになさるであろう




・私があなたがたを愛したように あなたがたも互いに愛しなさい

ヨハネによれば 最後の晩餐のとき

イエスは12人の弟子のひとりであるイスカリオエのユダの裏切りを予告する

すると ユダの中にサタンが入った

イエスがユダにしようとしていることを 今すぐしなさいと

命ずるとユダは部屋を出ていった

こうしてユダが出て行った後 残された弟子たちに対してイエスは

いまや人の子は栄光を受けた と宣言する


この言葉は弟子たちに対する訣別を示すものでもある つまり

この栄光とは十字架と復活における栄光であり 天への帰還を意味している

次にイエスは地上に残される弟子たちに対して 

新しいおきてを与える 

それこそが互いに愛しあいなさい わたしがあなたがたを愛したように

あなたがたも互いに愛しあいなさいという掟である

明日には十字架にかけられて弟子たちともこんじょうの別れとなる

というまさにそのとき イエスが弟子たちに言い残したのは

互いに愛し合えという教えだった

この愛は それによってあなたがた がわたしの弟子であることをみなが知るようになる

もの すなわちイエスの弟子であることの証なのである 




・愛は忍耐強い 愛は情け深い ねたまない 愛は自慢せず 

高ぶらない 礼を失せず 自分の利益を求めず 

いらだたず 恨みを抱かない 



この言葉はギリシャの町のコリントの信徒にあてたパウロの手紙の一節である

パウロはイエスとほぼ同じころ 熱心なユダヤ教徒の家に生まれ

厳格なファリサイ派となった 

律法を軽んずるキリストの信徒たちを迫害する立場にあったが 

あるとき 突然 天からの光を受け イエスの声を聞いた 


これをきっかけにキリストの信徒になったパウロは以後 

異邦人にキリストの教えを伝えるため 三度にわたって

大規模な伝道旅行を行い 各地に信徒の集まりが形成されていった




・愛を身に着けなさい 愛は全てを完成させるきずなです

彼はいうあなたがたは死んだのであってあなたがたの命は

キリストとともに神の内に隠されている

したがって信徒たちは上にあるものを求め 

地上のものに心を惹かれないようにしなければならない 

そしてそれらにまして重要なのは愛を身につけることである

愛はすべてを完成させるきずなである

悪徳からはなれ 美徳に生きるためには愛を身につけなければならない

全ての美徳は愛によって完成する

周囲のすべての人を自分のように愛し きずなをつくりあげることこそが

信徒としての務めなのである



・復讐してはならない 民の人々に恨みを抱いてはならない 

自分自身を愛するように 隣人を愛しなさい 



隣人とはなにか これは同じ神を秦ずる共同体の成員ということで

イスラエルの民を意味する すなわち 

共同体の内部においては復讐してはならないし 恨みも抱いてはならない

むしろ隣人を自分自身のように愛せというのだ

これは非常に高い倫理基準のようだが レビ記のいう隣人とは

あくまでも共同体内部の同胞に限定されているという点で

限界がある これに対してのちにイエスは マタイによる福音書で

わたしは言っておく 敵を愛し 自分を迫害するもののために祈りなさい

と述べている この言葉はレビ記の思想を超克するものだ 

イエスによれば 隣人愛の範囲は同胞だけにとどまらない

それは己が敵にまで及ぶのだ 



・だれでも一片のパンのために罪を犯しうる


箴言は古代イスラエルの賢王ソロモンの作と伝えられる書物で

旧約聖書の知恵文学のひとつとされる 

この書は知恵と諭しをわきまえ 分別ある言葉を理解するため

正義と裁きと公平に目覚めるため 未熟なものに熟慮を教え 

若者に知識と慎重さを与えるための教訓 格言集である

実際にはこの書はソロモンの作ではなく元来は上流階級の子弟を

教えるためのテキストであり ユダヤ以前の古代近東にも類似した

内容のものがあった だが箴言の根本には主を畏れることという

イスラエル独自の観念があり 他の教訓集とは一線を画するものとなっている


ここにあげた一節は 人を偏り見るのはよくない だれでも一片のパンのために

罪を犯しうるである これを素直に解釈すれば 以下のようになる

どんな人間でも飢餓の状態におかれれば 一片のパンを手に入れるために

罪を犯す可能性がある ゆえにこの人は善人だから悪いことはしない

あの人は悪人だから気をつけなければというように

あらかじめ特定の人に対して先入観を持っていると 思わぬ落とし穴にはまる

また この罪を観念的に解釈するならば だれしも些細な誘惑によって戒律を

破ることがありえるのだから そうならないように心せねばならないし また

罪を犯した人を悪人と決め付けず 罪を犯した背景を斟酌すべきである

という意味にもなる 




・罪を犯すものはだれでも罪の奴隷である 


イエスの言葉に対してユダヤ人たちはこう答える 

自分たちはアブラハムの子孫であり 奴隷ではないつまり はじめから

自由民なのにさらに自由にするとはどういうことかと

そこでイエスは答えていう 

罪を犯すものはだれでも罪の奴隷である もし子が 

あなたたちを自由にすれば あなたたちは本当に自由になると 

ここでいう罪とは端的にいえばイエスを拒絶することである

イエスを神の子と認め 受け入れないならば彼らは罪をおい 

罪の奴隷となるこの罪が赦されなければ奴隷は本当の意味で 

自由になることはできないのだ



・聞くのに早く 話すのに遅く 

また怒るのに遅いようにしなさい 人の怒りは 神の義を実現しないからです



聞くのに早くとは 人の話をよく聞くこと 耳ざといこと

相手の立場にたって親身に話を聞くことを意味する 

このような態度で会話にのぞめば他者のいうことをよく理解することができる


話すのに遅くとは自分のいいたいことばかりを主張しないこと

自分は信心深いものだと思っても 舌を制することができず 

自分の心を欺くならば そのような人の信心は無意味です とある 


怒るのに遅いとは何を言われても怒らないこと 

怒りやすい人は感情に左右されて公正な行動がとれず 

神の義を実現することができないということになる





・自分で復讐せず 神の怒りに任せない 

復讐はわたしのすることわたしが報復すると主は言われると書いてあります



パウロはいう誰に対しても悪に悪を返さず 全ての人の前で善を

行うように心がけない

悪を受けてもそれを悪で返さない 悪に対して善によって報いるというのは

悪の連鎖を断ち切れということだ

そして自分で復讐せず神の怒りに任せない つまりこの世の支配者は神であり

復讐するかどうかの最終判断も神によるものである 

だからそれに先立って人が神に代わって判断することは許されない

したがって復讐に関してはその判断をすべて神にゆだね自分は 

敵が飢えていたら食べさせ渇いていたら飲ませよ というように

善で応ずる こうすることによって すべての人と平和に暮らしなさいと

パウロは説く 



・成功する人は忍耐する人

一読してわかるようにこれは忍耐の重要さを説いたものである

特に人間関係において人に裏切られたとき これに復讐せず

忍耐をもって 背きを赦すのがよい と説いている 

そもそも人間とは常に自分の意志を押し通すことができるような存在ではない

人間が世界と対峙し また他人との軋轢のなかで生きていかざるを

得ない存在であるならば 自分の意志をいったん横におき 

忍耐せざるを得ない場面はいくらでもある

幼少期には親のいうことを聞き 学校にいれば決まりを守り

社会に出れば上司や取引先の意に従わねばならないこともあるだろう

そのように忍耐は生涯にわたってついて回るものである

そして 人生において成功するのは忍耐できる人なのだ





・自分の口と舌を守る人は苦難から自分の魂を守る

これは簡単に言えば自分の発言に注意する人のことである

軽率な言葉遣いによって他者との間に無用な軋轢をうみ

場合によっては肉体的な暴力を受けたり心に深い傷を負ったりすることに

なると警告している




・天の下の出来事にはすべて定められた時がある

すなわち 人の苦労など 全ては空しいということになる

人が何を苦労しようと起こるべきことはそのときに起こる 

人間には神のなさる業を初めから終わりまで見極めることは

許されていないのだ 

だから 人間はこの空しさを知り 今というときを享受せよと

説いているのである



・喜びを抱く心はからだを養うが

霊が沈みこんでいると骨まで枯れる



この箴言は気持ちを明るく保つということが大切だと教える 

喜びを抱く心があれば 単に気分がよくなるというだけではなく 

からだを養う すなわち肉体によい影響を与え健康をもたらすということ

そして 霊が沈みこんでいると骨まで枯れるは 

霊すなわち精神が沈み込んでいると体の芯まで枯れてしまうような状況になる




・あなたがたは地上に富を積んではならない

そこでは虫が食ったりさび付いたりするしまた 

盗人が忍び込んで盗みだしたりする

富は天に積みなさい 



地上に富を積むとはよんで字の如く現世における蓄財を意味している

だがその蓄財には虫の害や腐敗 盗難などの恐れが絶えない

また当然ながら死後は無用のものとなってしまう

これに対してイエスは富は天に積みなさいとすすめている





・求めなさい そうすれば与えられる 探しなさい 

そうすれば 見つかる 門をたたきなさい そうすれば 開かれる 



この一説にはいわゆる黄金律がつづく すなわち

人にしてもらいたいと思うことは何でも あなたがたも人にしなさいである

このことからすると 求めるものとは この黄金律が適用させる関係である

それは人間と人間の関係そして人間と神との関係でもあるだろう

とうてい手の届きそうもない高い目標を最初からあれこれと理由をつけて

諦めるのではなくともかくしゃにむに求めてみること 

そこから何事もはじまるのだ と教えているようにも響いている






・狭い門から入りなさい 滅びに通じる門は広く 

その道も広々として そこから入るものが多い 


広い門は滅びに通じる門である 

イエスの説教は常に神の国がまもなく到来するという切迫した終末論に

もとづいて行われているが広い門を通っていくものはいざそのときがきても

神の国に入ることができない

しかも悲しむべきことにその門は広くその道も広々として

そこから入るものが多い つまり多くのものは神の国が到来してもそれに気づかず

広く安易な道を選び 結局は滅びてしまう
タグ:聖書
posted by 大森 at 23:49 | 北海道 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 成功マインド系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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